一水四見

2021年10月30日

一水四見(いっすいしけん)と読みます。

『一つの水も四通りの見方がある。

人間にとっての河、

天人にとっては歩くことができる水晶の床、

魚にとっては己の住みか、

餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ 。

同じものを見ていても、見る人ごとに異なった認識をする。立場の違いでそれぞれの見方が変わる。』


ある問題が生じたとき、

甲さんにとっては大問題でも、乙さんにとっては些細な問題、丙さんにとっては問題だと思っていない、ということが頻繁に起きます。

世の中には、いろいろな見解が満ち溢れているのです。

交渉事がうまくまとまらないのは、お互いの認識がそもそも異なっているにもかかわらず、当事者同士が同じ認識を持って交渉の場にいると錯覚していることが原因です。

全く異なるものを扱っているというところから話を始め、まず相手の認識を知らなければなりません。

相手はこういう認識だから、こうしたいと思っているのかと相手の利を把握する。

自分はこういう認識だから、こうしたいと思っていると自分の利を再度確認する。

ここでディベートが得意な人はよく勘違いします。

相手の利を論破して、自分の利を適えようとするのです。

相手を論破するとどうなるでしょう。相手は不愉快になります。こんなやつとは交渉したくない、交渉打ち切りです。

交渉事に勝ち負けは重要ではありません。自分のこうしたいと相手のこうしたいをすり合わせて調整し、お互いに得をしたと思えるような取り決めをすることが交渉です。

相手を説得するとは、ディベートのように自分の得を相手に強制することではありません。相手に、相手の得を説くことで、自分も得も実現するということです。

相手を立てて自分も利を得る、相手を幸せにすることで自分の幸せも実現する。

この考え方を、仏教では、

自利利他といいます。


自利利他がもたらすのは、一回の交渉の成果だけではありません。互いに信頼できる関係が生まれます。単発よりも継続がもたらす幸せのほうがはるかに価値があります。