努力や練習が大嫌い
努力や練習が大嫌いと話す著名なスポーツ選手は、競技を問わず各世代に必ず一人はいます。
努力や練習が大嫌いなはずの選手が、努力や練習を人一倍コツコツやっているのも事実です。
『嫌いだからやらない』ではなく『嫌いだけれども必要だからやる』という考え方をする人です。
『好き嫌い』と『やる・やらない』は、別のものです。
にもかかわらず『好きだからやる』と『嫌いだからやらない』という形で組み合わせて使ってしまっている人が世の中には多いのです。そういう人たちはよく使う言葉は『あの人は天才だから・・・』です。
『人の能力は千差万別。誰しもが得手不得手を持っている。』と認識しています。
得手は誰しもが好き、不得手は誰しもが嫌い。当たり前のことです。得手をやるのは好き、不得手をやるのは嫌い。こちらも当たり前のことです。
何か競い合う場合、自分の得手と相手の得手がかぶってしまい、差がつかず、不得手の部分で競り合いになることが多々あります。
不得手を克服するのか、不得手を補うための別の得手を作るか、どちらかが必要になります。どちらも嫌いに感じる部分での作業です。
仏教の出発点は、「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と知ることから始まります。四苦八苦という言葉に表されています。
思い通りにならないとき、自分以外のものに原因を求めて、不満になり、怒りを抱くと、自分では解決できませんから、不満や怒りが継続してしまいます。
仏教では、こうした怒りは全て、自分の心が生み出していると考えます。その原因となっているのが、疑い、誤ったものの見方、プライドや誇り、欲望などの「煩悩」です。こうした煩悩に執着せずに、静まった心をもって取り組むことが大切だと教えてくれます。
練習、オレ大嫌いなんだよね。 嘘偽りがありません。
練習しないと勝てないよね。 嘘偽りはありません。
じゃ、練習しよう。 嘘偽りはありません
練習した。 少しはマシになったかも。 嘘偽りはありません。
自分自身に対して、まったく嘘偽りがない状況って、価値があります。