寿命という不治の病

2021年12月08日

人は必ず死にます。

人は寿命という致死率100%という不治の病を持つ生き物です。生き物である以上寿命を持つのは当たり前のことです。

お釈迦様は、王家の出身です。贅沢し放題という非常に恵まれた境遇にあるにもかかわらず、人生に「虚しさ」を感じてしまわれた方 です。この自分自身がやがて死ぬ身であることを「我が身のこと」としてはっきり自覚されて、葛藤された方だからこそ、そのお言葉に説得力があるのだと感じています。

ここで話をがらりと変えます。

生きることに苦しさ感じている人に届く言葉とは何なのでしょう?

お釈迦様は、言葉は適切な場面で適切なものを選んで発することによって最大限の効果を発揮すると説かれました。

何も知らない人と話すときは、専門用語を使わないようにする。

同じ事柄を説明するにしても、説明する相手が、幼児なのか、児童なのか、学生なのか、若人なのか、熟年なのか、老人なのかによって、用いる言葉を変えて、話す。

相手の資質、性格、理解力などに応じて説法(言葉)を吟味選択することを、仏教では応病与薬と呼んでいます。

お釈迦様は、吟味選択の達人でした。今の世であれば、精神科の名医、世界的な権威として、心を病んだ人を治療されていらっしゃたかもしれません。

情報が満ち溢れている現代、積極的に仏教を求める人とは、有限の現世において、とことん生き抜きたい、命を輝かせたいと思っている方だと思います。ただし、こちらは少数派でしょう。

大半の方は、心を病んでしまったから、お釈迦様の教えにすがろうとしているのだと思います。


人に貴賤はないとお釈迦様はおっしゃっていますが、寿命という不治の病の病人であるという意味では、すべての人は等価です。

福沢諭吉先生は『学問ノススメ』のなかで、人は等価な存在だけれども、学んでいる人と学ばない人の間には渡ることができない溝ができる喝破されています。

何を学ぶか? なぜ私は生まれてきたのかについてだと思います。目的に気が付いた時、人間は輝きだすとおもいます。

どんな風に死にたいか考えると、そこから逆算して、今やるべきことが見つかります。

死に様を考えましょう。