幸せにする力
カルマ(業):行い
人の行為には、その人を幸せにする力があります。
これを業力といいます。
仏教は、因(行い)が縁(環境)に触れたときに果がでるという教えです。
いくら因を行っても、縁が無ければ結果は出ません。
縁がくるまで耐えて、因をせっせと蒔くことが必要です。
有難いことに、業力は不滅で、業力は蓄積されていくものだそうです。
過去に行った因が、本人がその因を忘れたころに縁に触れて、結果が出ることもあります。
いくら因を行っても、果の実現に必要な因でなければ、その果をもたらすことはありません。
スイカの種を蒔いたのなら、メロンはできません。
極寒の環境において、温暖な地方に繁殖する種を蒔いても、発芽しません。
困るのは、何も考えずに因を行って、悪縁と結びつくと、悪果が出てくることです。
日々の生活を振り返って、自分を反省するという行為は、因を修正する、縁を整えるために、非常に重要な行為なのだと思います。
過去に拘って今が疎かになる。遠い未来に拘って今が疎かになる。というのも愚かです。
反省するとは、過去の拘りや未来への拘りを断って、今を修正する。
修正とは、因を良い方向へ、縁を良い方向へ、変化させるということです。
心で感じて頭で考える。ここまでは見えない業です。
思いを口に出して体を動かす。ここから見えてくる力です(周りが見ていないかもしれませんが)。
言霊という言葉がありますが、
「古代の日本人は言葉に宿る霊力が,言語表現の内容を現実に実現することがあると信じていた。言霊の信仰によって言葉を積極的に使って言霊をはたらかせようとする考えと,言葉の使用をつつしんだり避けたりする考えとの二つの面がある。日本では和歌において言霊の思想がうけつがれ,のちの時代にまで影響を与えた。 」
と辞書を引くと出てきます。
現代の日本人も古い和歌を読むと感動します。
思いを口に出すというだけでも何か力が働くのです。
思いを口に出すときは、幸せになるような言葉を選んで、力を得ましょう。
口に出しても、行動しなければ、力は消えてしまいます。
何にも考えないと力は湧いてきません。
思考する、口にする、試行するの三位一体でないと幸せな力は途切れてしまいます。
思考と試行をくっつけるのは言葉です。