無分別
2021年12月07日
現代社会においては、一般的には、善悪などの判断ができるのは良いことであると考えられています。『分別がある人になりなさい。』などと諭されます。
一方、仏教では識別という作用自体をあまり良いことと考えていません。
『分ける』という判断は、ほとんどの場合、自分の主観認識によるものです。客観的にみれば、判断の対象が、自分が判断したように分かれているのではない場合が大半です。
分別は、対象を識別していく頭の働きですから、何かを見た人の頭の中だけに生じる認識にすぎません。困ったことに、人は往々にして、自分に都合が良いように判断して、本当はないことを、あると思い込んでしまうのです。
自分の認識が真実だと思い込んで下す判断は、よほどの幸運が無い限り、誤っています。
自分の都合の良いように分別せず、ありのままに物事を受け取ることができるようになることを『無分別』というのだそうです。事態を客観視することができれば、迷わずに物事に対処できます。
情況が発生したときに妄念を抱かないということは、難しいことです。発生した状況に自分の独り善がりな主観に基づく分別をするよりも、何が起きているのかを客観視することができるように、無分別を心がけたいものです。