生きる理由
人生は四苦八苦です。
死ぬ理由は、誰でも簡単に見つけることができます。
仕事が辛い。
友達がいない。
仕事が無い。
では、生きる理由は?
これがなかなか見つからない。
この状態を無明の闇と仏教では言うそうです。だから虚しく、寂しい。
生きる意味が解らないから、自殺しちゃう人もいます。こういうときは周囲の人は何で自殺したか解らないと口々に言います。原因不明ということになりますが、生きる意味を見出すことができなかったということは、自律しているという点において、一番立派な原因です。
人間は、現世で『死ねまで』(期間限定)で流転輪廻(るてんりんね)を繰り返す生き物です。
どのように生きるか? HOW?
なぜ生きるのか? WHY?
とりあえず、お金を稼ぐことができれば生きることができます。
どのように生きるかについては、解決策が見える点で、考えやすい。
なぜ生きるかについては、見ることができませんから、悩みます。
芥川龍之介は『人間は生きるために生きている』と話しています。
世の中には『生きることに意味は無い』と言い切ってしまった人もいます。
ニーチェは『目的や意味の分からないことに耐えることは、人間はできない。』と言っています。『人間は、生を見ることが深ければ深いほど、苦悩を見ることが深くなる。』とも言っています。
お釈迦様は、無明の闇 を抜け出す方法を説かれています。悟ることで流転輪廻で堂々巡りを繰り返すことを断つことができるとされています。
悟るためには、修行が必要です。
4年に1回のオリンピックに出場する。そのために、毎日、トレーニングに励むなんてことは、もはや修行の領域です 。
しかし、凡人にはなかなか難しいことです。
でも、ニーチェの言葉から察するに、凡人でも目的がしっかり定まっていれば苦しいことに耐えることができるはずです。
1年に1回、海外旅行に行く。毎日、節約に努めて、旅行資金を貯めることができます。
半年に1回、温泉に行く。毎日、仕事をこなして、時間を作り出します。
1か月に1回、ゴルフに行く。何かしら、ゴルフの練習に励みます。
1週間に1回、友達と遊ぶ。休みが取れるように仕事を終わらせます。
1日1回、晩酌をする。無駄なお金を使わないように心がけます。
無明の闇の中に、小さな灯りを灯して、その灯りを目指して進むことは可能です。
小さな『なぜ』を積み重ねて、無明の闇の中を進んでいきましょう。
『なぜ』が積もり積もって、悟りに導かれることもあるかもしれません。