確固たる自分?
2021年10月20日
20世紀後半から出てきた思考法?に『確固たる自分が存在している』というものがある。
確固たる自分を探す『自分探し』や確固たる自分に備わった適性に基づく職探し、環境探しが流行っている。
ぼく個人は、『確固たる自分』というものの存在は無いと考えている。
無いものを探しだすことは不可能である。
確固たる自分が好きな人は、仕事に自分を合わせるのではなく、自分に合った仕事を見つけるために転職を繰り返す。 儲けているのは転職斡旋会社だけで、本人も雇用する会社も時間を無駄にしているだけという結果になっている。確固たる自分が大好きな人が望んでいる華麗なキャリアは永遠に築けないまま終わる。
歴史を振り返ってみても、人間は未完成な存在とする考え方のほうが主流だと考える。
仏教の教えも、煩悩に満ちている人ですら救われると説く。悟りを開いて聖人になるものは稀、人は未完成なまま一生を終えるという現実のうえでどうすべきかを説いている。
石田梅岩先生の心学も、一生完成しない人間を前提にしている。自分というものは、与えられた状況を受け入れ、そこで最善の努力をしない限り、正しく姿を現すことはないとして、何か問題が発生した場合には、環境を批判する前に、自分の在り方を反省すべきであるとしている。何か問題が生じた場合、自分の努力に不備はなかったのか自省することが大切である。自省することで、未完成な自分を、より良い方向に自分で育てていく。環境に負けずに自律していくことを覚えることが人生を豊かにすると説く。
人生最後まで、未完成なままというのは、人間の努力の限界を示すことではなく、完成した自分などないのだから、いつでもやり直せるということに行きつく。
思い立ったが吉日という言葉があるように!