禅問答
2021年12月01日
禅問答と聞くと、『意味の分からないやりとりですね』といわれる方が多いのではないでしょうか?
禅問答は、禅宗の僧が悟りを開くためにおこなう修行法の1つ で、『師匠が、疑問を弟子に投げ、その疑問に対して答える』という形式をとります。問答は禅宗の僧による言葉のやりとりや動作のやり取りのことです。
お釈迦様が生存されていた時代から脈々と行われてきた 一連の問答 をまとめた会話集のことを公案といいます。
禅宗で悟りを開くには、言葉だけでは表しきれないものごとの真理にたどり着く必要があり、見聞きしただけでは意味の分からないやり取りのなかにある物事の本質や本当の意味を探すことが大切だと説かれています。
禅問答は解答をひとつに絞り込む必要はありません。
解答を一つに絞り込む必要がないということが、一つの解答にできるだけ早くたどり着くことを目的とする日本の義務教育の体系と異なります。
社会に出たとき、人はいろいろな問題に直面します。複数の人間がからみあって生じた問題には、たくさんの解答があります。ある人にとって正答だとしても、別の人にとっては誤ったこ答えになります。意見を述べ合うことに終始してしまい、問題の解決に至らないまま、時間だけが経っていってしまうのです。
問題の解決を図るためには、各人が妥協しなければならないということを、江戸時代の人は『三方一両損』と称しました。
数百年前の人々が授かっていた智慧を、現代の人が享受しえないのは、答えが一つしかないと十数年にわたって教育されてきた結果だとしたら、悲しいですね。
知識を使うのではなく、知恵を使って、問題を解決する。問題を素早く解決するために、妥協できる点は何かと探ることは、娑婆の人にとって大切なことだと思います。