言葉

2022年01月07日

禅の修行は、大死底の人から大活の人になるということだそうです。

まず、いったん死んだつもりで中途半端な誇りを捨ててしまう。

(死を体験することは一度しかできませんから、 )死んだつもりになったそのあとは、生に徹底する。

生に徹底するとは、

中途半端な誇りがあると行動に制限がかかってしまます。

無限に方法があるのに一部の方法しかを選ぶことができないという制約を外さないと、

成り上がりすることはできません。中途半端な誇りは百害あって一利なしです。

もっとも、善因善果・悪因悪果・自因自果ですから、悪因は絶対避けなければなりませんが。

自因自果の視点で見ると、

①お金持ちになる人は、お金持ちになるように発想し、お金持ちになるように言葉を用い、お金持ちになるように行動します。

②貧乏になる人は、貧乏人になるように発想し、貧乏人になるように言葉を用い、貧乏人になるように行動します。

ということになるでしょう。


発想は自分の内面にとどまりますから外から見たり聞いたりすることはできません。発想が言葉と行動に変化したときにようやく外から見たり聞いたりすることができます。

因と縁が揃って果がでますから、縁を招く「言葉や行動」は、慎重に選んで使いましょう。