因と縁の前提
因と縁が結び付いたときに果になります。
このBlogで何度も書いていますから繰り返しになりますが、
因は自分の行いで、縁は様々な環境です。
縁は、因に結び付いて、果を生み出します。
縁だけでは機能しないのです。
西洋においても、ジェームズ・アレンが、「環境は、人を作らない、ただ自分自身を白日のもとにさらすだけ。」と言っています。
劣悪な環境でも、よこしまな思いを抱いていない限り、不幸にはならないそうです。
どんなに良い環境でも、気高い思いを抱いていないと、幸せにはならないそうです。
なぜでしょう?
自分自身の思いを実現したものが因ですから、因は自分で作り出すことはできます。
縁は環境ですから、自分の外側にあり、自分で制御することはできません。より良い環境を整えようと努力することは可能ですが、必ず整うとは言い難いものです。
因は必ず作り出せるもの、縁は気が付いたら整っているものです。
凡人は、頑張って縁を整えようとします。なぜかできるかどうかわからないほうを選ぶのです。
因は、自分の現状を変えるということです。自分を変えることに恐怖を感じてしまい、消極的になります。自分に痛みがこないように、環境を変えようと試みるのです。
自分の現状が、今の環境を作っているのですから、自分の現状を変えない限り、環境は変わらないのです。
よこしまな思いを持っているから劣悪な環境を招いた。だが、よこしまな思いは捨てた。これ以上は悪くならない、状況が改善し始めるということなのでしょう。
たまたま、良い縁が来たとしても、自分の因が良い縁にふさわしいものではない、適合していないならば、善果にならず悪果をもたらします。
因と縁の前提として、なぜ、自分の思い”本願”が必要なのか、なんとなく腑に落ちました。
ブッダが説かれる本願とジェームズ・アレンの自分の思いが統合されました。
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