抜苦与楽

2021年09月17日

 苦を抜き、楽を与える:なぜ苦が生じたのか?を調べて、根本的な原因を抜くことで楽になる。

 善因善果・悪因悪果・自因自果という教えから、仏教は因果関係を重視する。自分に起きた出来事は、偶然に起きたものではなく、何らかの自分の行いが原因で生じたものだと考える。困ったことに、行いの結果がいつ出るかは定まっていない。すぐ出ることもあれば、長時間経過してから忘れたころに出ることもある。ある行為をやらなかったから起きたときなどは、何が原因か思い当たることが浮かばないこともあるだろう。

 悪いことが偶然起きたと感じるときに、『なんて俺は不運なんだろう、神も仏もあったもんじゃない。』と嘆く。しかし、起きた出来事は、自分が蒔いた種・自業自得と割り切ったほうが、精神的な安定に善い。やったから、やらなかったから(作為・不作為)から起きたと考えれば、運・不運というわけのわからないものに心を乱されることはない。運ぶという漢字は、軍をうまく移動させることができれば戦に勝つという意味を持つ。軍をうまく移動させることができなければ戦に負ける。当たり前のことだ。運・不運は、自分の行為から生じると考えるほうが、成功は掴みやすいと思う。

 『苦は、過度の煩悩により生じるものである。』とされる。人間だれしも、煩悩とは一生お友達。悟りをひらく (煩悩を消す)ことができればお釈迦様になれるが、凡夫にはまず無理。過度に欲をかかない、執着しすぎないことが大切。

『妬み』で説明してみる。

人間は、スーパースターの偉業には憧れるが、同僚・同級生の出した結果をけなしたり、陰口をたたく。

『隣の芝生は青く見える』という格言もあるが、嫉妬は、距離が近い人に感じることが多い。ここでいう距離が近い人とは、身近な人をいう。家が近所の隣人だけにとどまらず、テレビ・YouTubeなどで頻繁に見ている人も含まれる。狭いと表現したほうが良いのかもしれない。

かなわないと思っている人に対しては、その人の出した結果を諦めることができる。すなわち、執着がない。憧れることができる、だから楽。

対等だと思っている人、こちらのほうが上と思っている人に対しては、その人の出した結果を諦めることができない。なんであいつだけがとか、たまたま運がよかっただけだろうと相手をおとしめることで自分自身を納得させようとする。相手に執着すると妬みが出る。だから苦。

妬みの原因は、無知によるものが大半だと思う。

①嫉妬した相手のことを実はよくわかっていなかった。相手の事情を知っていれば応援して自分も楽になったのに・・・・、身近な人と思っているがゆえに相手の事情を確認せずに、相手を妬んで苦になった。

②視野が狭くなっていて、世間的に見れば相手と自分が五十歩百歩ということを知らなかった。営業成績No1を部の中で争っていたが、全社的に見れば大したことなかった。部という狭い環境のNo1に拘った結果、相手に対して嫉妬してしまい、部の雰囲気も悪くなって、苦になった。

③良い結果が生じる良い方法があることを知らなかった。相手が結果を出している方法を知らなかったがゆえに、相手がずるしていると嫉妬してしまい、苦になった。

となると、

①相手を知る。優雅に泳いでいるハクチョウも水面下で必死に足をかいていることを知る。

②視野を広く持って、世間を知る。あってもなくてもほぼ同じと諦観する。

③良い方法を知る。人の振り見て我が振り直せとは、善い因を真似ぶ(学ぶ)ことで自分に取り入れていくと解釈する。

ことが、嫉妬を防ぐことになると考える。