トルストイの幸福論

2022年02月28日

文豪トルストイが、

『人間は幸福を求めてこそ意味ある存在である。

そしてこの幸福は、人間自身の中にある。

つまり、自分が生存するために、毎日必要な物を満足させるところにある。』

と言っている。


人間は幸福を求めてこそ意味がある存在?

幸福を求めていない人は、まずいないだろう。

もっとも、ほとんどの人が求める幸せとは、富や名声を得ることを意味する。

富や名声を求めだすと、際限がなくなってしまう。上を見ればきりがないから、いつまでたっても満足すらできず、幸福を感じることがない。


幸福は、自分の外側にある物(富や名誉)では充足できないのだと、トルストイは指摘し、

自分の外側にある物に執着している人々は、意味が無い存在としている。


なかなかキツイ表現である。

世の中の大半の人は幸せを感じることができていないから、無意味な存在であると言っているのだから。


幸せは、自分の外側には存在しないから見たり触ったりできないもの。

自分自身で自分の内側から感じなければならないもの。


自分の内側を、感じることができない人は、絶対に幸福感を得られないことになる。

この状態は、確かに、不幸だ。


これを回避するためには

自分が生存するために、毎日必要な物を満足させるとしている。


自分が生存するために、毎日、必要な物を満足させる?

必要な物って何だろう?


これは、各自、自分自身で感じるしかないように思う?

少なくとも、考えてこうだと決めつけてはいけない、繊細なようなものも含まれているはずだ。


仏教的には、本願が自分が生存するために、毎日必要な物なのだが。

ロシア正教の教えだとどうなるのだろう。