たとえ愚かであっても・・・・
2021年10月19日
石田梅岩先生いわく『私は愚かな身であるが・・・・常々恥じて恐れている。しかし、聖賢の道を説くからには、自分のことを適当に扱ってはならない。すべての人は自分に貴いところがある。教え導くときは、自分から聖賢の道に入って、礼儀をわきまえなければならない。』
愚かだから何やってもいいということが世間から許されないように、愚かだから自分自身を自虐することも自分から許されません。自分が愚かだと感じていても、人間の本性である共感力を得るために、日々努力を続ける。日々努力を続けることが人に貴いところをもたらすと説いていると私は捉えています。
教え導くとは、経営者の本性でもあります。従業員に共感してもらう、従業員に共感する、ことで事業の業績を安定させ進展させていく。皆が行っている事業が持つ価値を皆で共感してもらえるように、教え導くことが経営者に求められています。
従業員は経営者の行いをよく見ています。経営者が私利私欲に走り、過度の贅沢を始めると、従業員も不正を始めます。悪い意味での共感力が働きます。良い意味での共感を得るためには長時間必要ですが、悪い意味での共感は一瞬で広がります。
人間誰でも、消費欲を持っていますから。
経営者は、『聖賢の道に入って、礼儀をわきまえなければならない。』、すなわち、過度の欲を戒め、適切な消費行動をすることで、憧れの存在にもならないといけない。あの人のようになりたいと従業員が思うことができるようにお金を使う。従業員の勤労意欲があがるようにふるまって魅せるというのも役割の一つだと思います。
まあ、一生懸命頑張ってもあの程度かと思われて、なあなあで皆が仕事をしている事業のほうがはるかに多いです。
キラリと光ってみたかったら・・・・・。たとえ愚かであっても・・・・・・ですね。