道徳
石田梅岩先生もアダム・スミス先生も、道徳とは何かについて、人の本性から考えました。
ここでいう道徳は『何が適切な感情であり、行為であるかの判断基準』です。
石田先生もスミス先生も、個人は共同体なくしては生存できないという現実を踏まえて、個人と共同体を明確に分離分割することを、机上の空論として捉えているようです。
そこから導き出したのが
『人の本性とは、個の超越・利己主義の放棄』だそうです。
石田先生いわく、
個を超越・利己主義を放棄すると、人の心は、世界全体を制御している理に繋がるのだそうです。
世界全体の福利に添うように行動することで、人は福を得ることができるのだそうです
利に優る福を得るために必要な感情や行為が道徳ということになります。
石田梅岩先生が説く学問の役割は、『我利に囚われてしまう現実的な心を人間の本性に戻すこと』だそうです。 個を超越するために学ぶ。それは知識の獲得ではなく、世界全体の理に繋がるために知恵を働かして我利を抑えることを覚えるということでしょう。
アダム・スムス先生いわく、
市場の参加者が利己主義を放棄すると、市場に見えざる手が働き、利益が最適化するそうです。
僕は、人間は、幸福を感じたい生き物だと思っています。
利益をいくら得ても、幸せが感じられなくては、生きている意味を自分で見つけたことにはなりません。
人にとっては、
幸福は利益を上回る価値(逆から見ると、損失は幸福を損ねる価値・絶対悪)
ですね。
道徳とは、共同体を構成するすべての人が幸福を感じるために必要な感情や行動の基準ということでよろしかと。共同体の構成員が道徳に基づいて行動すると、共同体の損失は最小限になり、利益が最大化され、利を受け取る構成員の幸せにつながるということなのでしょう。
では、彼らが言う共同体とはいかなる共同体でしょうか?
ここでいう共同体とは市場経済が動いている世界と僕は考えます。
石田梅岩先生は士農工商という身分制度があった時代に生きた人。
アダム・スミス先生は貴族制度という身分制度があった時代に生きた人。
両者に共通しているのは市場経済が発展しつつあった時代の人。
商人が卑しいとされていた時代に生きた人たちです。
商売を通じて、身分制度を超越する自己実現ができるという可能性に着目した人たちだったのかもしれません。商人は卑しいと後ろ指をさされないために、道徳を守った商売をして、自分たち商人の価値を高めようという心意気やよしです。世界に貢献する役割に違いはあっても、個々の人はすべて等価であるということを1700年代に問いかけていたのです。危険思想ですね(苦笑)。
商人は、本性について学び、本性に基づいた商売をすることが大事だという教えは、現代においては、人間の本性を学び、本性に基づいて行動することで、多幸感を感じることができるというふうに応用できると考えます。