従業員が成果主義で評価されていた時代

2022年02月02日

江戸時代に開業した、某百貨店の創業者が作った家訓の現代語訳から抜粋。

『先義後利』が家訓の百貨店で調べるとどの店か判るかも?

・家のしきたりや規則をよく覚え、部下の人柄などを見定めて適材適所に配置でき、決断力を発揮して善悪を見分けられる人物ならば、どんなに若くても、すぐに支配人に抜擢すべき。

・どんなに勤続年数が長くても、店に対する忠誠心の足りない者や能力不足の者を、重い役に就けることは絶対によくない。古いとか新しいとかの別なく、信念をもって店の経営に参加し、真心を基に自分の能力や才能をはっきり示すことができる人物がいたら、抜擢して重い役を務めさせよ。

江戸時代の大商人は、皆、似たり寄ったりの家訓を設けている。

江戸時代の大商人は自分の店の従業員を評価するにあたっては、勤続年数が長い短いは、参考程度にしかしていなかったのだ。徳政令などという借金満額踏み倒し政策が10年に1回実施されるのだから、無能では商売人はやっていられないのだ。

明治・大正・昭和と時を経るに従い、年功序列が幅を利かすようになったのは、明治政府が序列を重んじる公家や武家など出身者で構成されていたことに起因していると考える。明治政府は、正当性にかなり疑問がある(佐幕派だった孝明天皇を暗殺して、孝明天皇の弟を明治天皇とすることで、権力を掌握した。尊皇攘夷を謳いつつ、やったのは開国対英従属。憲法を制定すると称して、ヨーロッパで最も専制君主の権力を強調するドイツ流の憲法を導入し、自分たちの立場を守ることを優先した。)

柔軟であるべき商売が、堅苦しい権力に統制されることで、硬直化してしまうと、困る人が多数存在するのだが、権力を握って手放したくない少数は、関係を固定化したがる。

諸行無常(常に形は変化する)という世の中の理を無視するような明治の権力体制は、明治・大正・昭和をいう3代の天皇の時代を経て、100年持たずに崩壊した。

その残滓が、敗戦後も残り、なぜか会社における人事体系において年功序列が強化されてしまった。

年功序列型は、たしかに楽である。年上だから従えと言えば足りる。

しかし、それでは、若く優秀な人材が腐ったり、排除されてしまう。

この年功序列型が成功したのは、購買人口が大幅に増えた時代だったからに過ぎない。

人口が横ばい、減少している時代には通用しない。失われた数十年といわれる経済の停滞の時代が続いてしまっている。

江戸時代は人口が百年以上にわたり、横ばいだった時代である。

その状況下で、武士階級とくに儒教の影響を受けた幕府の指導者のたびたび実施した緊縮経済政策で大損害を被りながら、商人は経済は回し、様々な方法が立案し、優れた商慣習を手にすることに成功している。

この江戸時代の商人たちの智慧を生かすべき時代が、今だと考えている。

実力がある若い人の、過去の常識に囚われない、新しい手法を歓迎したい。