泰然

2022年01月08日

どんな事態が起きていても、落ち着き払っている人がいます。

羨ましいです。

精神が強いから、落ち着いているのかと思うこともありました。しかし、メンタルトレーニングを積んでいる一流アスリートですら、精神が動揺して、試合を落とす光景を何度も見たことありますから、精神的な強さ弱さは、落ち着き払うことができるの十分条件であっても、必要条件ではないようです。

現状を受け入れることができるから、動揺しないという話を聴きました。

現状をそのまま客観視できるからだそうです。

現状を好き嫌い・損得・価値・理想などで評価してしまうと主観的になって些細なことが強く自分自身に跳ね返って動揺してしまうというのです。

価値観や理想は特定の形をしています。特定の形をしているものに、無常(形が常に変化している)なものはうまく収まりません。摩擦がおきたり、抵抗が生じたり、形が壊れてしまうなど、起きている事態によって自分の持つ特定の形が激しく歪み、結果として動揺してしまうそうです。

小さな粒子が水や雲になって動いていることを参考にするとよいのだそうです。小さな粒子が集まって水や雲に形を変え、水や雲も常に形を変えて動いていく様子を参考にするとよいそうです。

水は寒ければ氷や雪に変わり、地面に落ちれば地面に吸い込まれ地下水脈を流れ、水面に落ちれば川を流れ、最終的にが海を流れていきます。

やり方や方針に拘りがあると、負けたくないとか妥協したくないという思いが強くなり、負けたくないや妥協したくないが目的地になり、自分の最終的な目的地を見失ってしまう事態になります。

しかし、拘りを捨ててしまえば、水や雲のように自分が、環境に応じて、環境に抗わず、変化して、最終的な目的地に向かっていくことができます。どのような事態が起きても、動揺することがなくなるそうです。

拘りを捨てるとは、自分一人ではできないと把握したら他人を頼る、既存のやり方でやるのではなく新しいやり方を試す等、難しいことではなく、ちょっとだけ変えてみるということだそうです。

このちょっとだけでも変えるということが怖くてできないのですが、勇気を奮ってみましょう。


禅語でいうと行雲流水というのだそうです。