消費と倹約
経済状況をよくするために、個人の消費を活発にする。これは至極当たり前のことだと思います。
皆が適度に消費することで、経済が回り、社会の隅々までお金が配分される。過ごしやすい社会でしょう。
では、消費そのものは幸福でしょうか?
人間は本性的に、多くの人に共感してもらいたいという欲求を持っています。多くの人から承認してもらい、自分自身の自己承認を確かなものにする。SNSで『いいね』マークを押してもらうと気分が良いのがその表れですね。
自己を承認してほしいという思いと消費活動が結びつくと、厄介です。
承認してほしいから、次から次に、より高いものを求めていくというループに入ってしまうと、キリがなくなってしまいます。なりふりかまわず、他人を蹴落としてでもお金が欲しくなります。また、現状に満足できず、常に何かを求めている精神的な飢餓状態に入ってしまいます。そうすると、幸せを感じることができなくなります。消費は不幸を招く可能性が高い、取り扱い注意な代物です。
過度の消費意欲を抑えて、制御可能な状態を維持するために必要なものが、倹約という概念でしょう。
倹約は、余裕を作るための手段です。
この余裕は、人間関係の潤滑油になります。贅沢な料理を楽しむ会を1回する費用で、素朴な料理を楽しむ会を数回することができます。ほとんど知らない人たちが集まり、緊張のあまりしかめっ面しながら1回の贅沢な料理を食べるよりも、素朴な料理を数回楽しんで、人間関係がなごませるほうが、お金の使い方としては賢いでしょう。和んでから贅沢な料理を楽しむと、楽しみが倍になるでしょう。
倹約とは、所有しているものを最大限使い尽くすこと。
安いからという理由で耐久性の無いものを複数回購入するよりも、高くても耐久性が高いものを1回購入するほうが、投入資金が少なく抑えることができる場合があります。
見栄で高級品を着るよりも、安価な一般品を大量に購入して使いまわしたほうが、清潔感を醸し出すことができる場合もあります。古くなった服は汚れ作業の時に使ってから捨てるなどの工夫もそうです。
倹約というと、お金を使わないことという安直なイメージが横行していますが、お金を使わないのではなく、不可欠なものに対して十分なお金を使うというイメージに書き換えることが必要です。お金を使う前に、今使っていない資産で代替できるものがないのか考えるのも、使わなくなったものを再使用するという点で倹約です。
他者と比較することで自己承認しようとすると、過度の消費行動に走ってしまいます。相対の幸せは儚いです。
自分の中で自己承認することができるなら、適度な消費行動になります。他者と比較しないで感じる絶対の幸福は確固たるものです。自分に本当に必要なものを考え、費用対効果を考慮して、お金を使うという倹約は、絶対の幸せにつながる消費活動を行うために必要なブレーキですね。
倹約に日々取り組みたいと思っています。