Begin with the end in mind.
2021年12月13日
死ぬという最後が待っているということを前提にして、なぜ生きるのかということを自分自身に問いかけるのが仏教でいう『本願』だと考えています。人生の目的地を設定するということだと思います。
死ぬという最後が待っているということを前提にして、なぜ生きるのかということを自分自身に問いかけるのが仏教でいう『本願』だと考えています。人生の目的地を設定するということだと思います。
自分の軸があやふやだと状況に踊らされてしまうから、しっかり自分の軸をもって状況にあたふたしないようにしましょうという話は、世の中にごまんとあります。
資産をたくさん持っているだけの人が、博打や麻薬に溺れてしまうことが多いのは、見栄や虚栄心は、どんなにものを買いあさって保有したとしても、満たされることがないからでしょう。保有資産が多くても、心が満たされないから、博打や麻薬に刺激を求めるようになって廃人になってしまうとしたら、富とは何なのでしょう。
いくらあっても足りない人と、少額で足りてしまう人の2種類におおまかに分けられます。
心身一如とは、心と体は決して分けることができないものと捉えている仏教の教え。
人は寿命という致死率100%という不治の病を持つ生き物です。生き物である以上寿命を持つのは当たり前のことです。
現代社会においては、一般的には、善悪などの判断ができるのは良いことであると考えられています。『分別がある人になりなさい。』などと諭されます。
順境にあるときに、『まさか!』、逆境にあるときに、『まさか!』。
我慢とは、『苦境や逆境にめげずに耐える』という意味で現在使われています。
陸上系コメディアン?のM高志さんの持ちネタである『現状打破』について、仏教的視点から見てみる。